多民族の国【ウガンダ共和国】歴史をざっくり知る!

お勉強
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皆様こんにちは!蝦夷パパです!

今回も歴史を要約しますよ〜

今回は世界の国シリーズ、21カ国目は【ウガンダ共和国】です。

現在の国家に至るまでを要約しています。

ざっくりと見てもヨシ!各世紀ごとにしっかりと見るもヨシです!!

それでは基本の「き」から参りましょ〜

 

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基本の「き」

公用語…英語、スワヒリ語

首都…カンパラ

面積…236,040km2

人口…4574万1000人

検索候補TOP3…どんな国、治安、平均年収

それでは歴史を紐解いていきましょう! 

 

 

※カタカナがいっぱい出てきてややこしいので、人名には”さん付け”してます。

 

16世紀…諸王国が成立

・ブニョロ、ブガンダ、アンコーレ、ルワンダ、ブルンディなどの諸王国が成立した。

この諸王国が後の多民族国家に繋がりますよ。

 

17〜18世紀…ブニョロ王国の最盛期

・西部に位置するブニョロ王国が最盛期を迎える。

ブニョロ王国とは「バントゥー系のニョロ族の国」を意味しています。

バントゥー系とはバントゥー語を使う人々のこと。バントゥー語とはアフリカ中部以南に広がる諸言語のことを言いますよ。

19世紀…ブガンダ王国が栄える

・ウガンダ中南部のビクトリア湖北岸にブガンダ王国が栄える。

・地域で最強・最大の王国でした。

・後に外国からの宗教等の影響が及び始め、国内勢力が分裂する。

・ドイツとイギリスが宣教活動とともにこの地を狙う。

・ヘルゴランド=ザンジバル条約締結によってイギリスの勢力範囲となる。

 

20世紀…植民地時代を経て、国家独立へ

・イギリスは各部族の王国を間接統治する策をとったので、各王国の伝統的な政治スタイルがむしろ強化される傾向も生じた。

・ウガンダ鉄道が出来て、ワタ栽培が盛んになる。1970年ぐらいまで主要産業だった。

・第二次世界大戦後、徐々に民族運動が盛んになり、ウガンダ保護領内で力のあったブガンダ王国は連邦制を強く主張した。

・保護領内に残存する諸王国はそれに賛同したが、単一国家を支持する王国を持たない諸地域と激しく対立した。

・何だかんだで1962年に英連邦王国の一員として独立

・翌1963年にイギリス総督に代わってブガンダのムテサ2世が大統領に就任し現在の共和国となる

 

国家独立後の主な出来事

・1966年オボテ政権、社会主義路線を掲げる。

・1971年アミン政権、軍司令官イディ・アミンさんがクーデターで政権を掌握、独裁政治・恐怖政治を行う

・1986年ムセベニ政権、経済や社会の安定化に力を注ぎ、ウガンダは安定を取り戻す。

・1998年第二次コンゴ戦争が勃発、2003年に終結とされる。

・現在も反政府勢力の「神の抵抗軍」と政府軍の闘いは20年以上に及んでいる。和平の動きがあるものの停戦には至っていない。

 

最後に

最も人口が多いブガンダ族をはじめ、60以上の民族が暮らしています。 そのためウガンダ人同士でも、英語が話せない人とは会話ができないこともあるそうです。

多民族国家とはよく言ったものです。

僕は日本語しか喋れません、日本人でよかったです。

 

これにて21ヵ国目【ウガンダ共和国】を終わりとします。

ご覧頂き有難う御座いました。

 

 

 

 

↓大変参考にさせて頂きました!

ウガンダとは – コトバンク

ウガンダ – Wikipedia

※掲載している情報は記事更新時点のものです。

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