小ロシアと呼ばれた国【ウクライナ】歴史をざっくりと知る!

お勉強
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皆様こんにちは、蝦夷パパです!

今回も歴史を要約していきます!

今回は世界の国シリーズ、22カ国目は【ウクライナ】です。

現在の国家に至るまでを要約しています。

ざっくりと見てもヨシ!各世紀ごとにしっかりと見るもヨシです!!

それでは基本の「き」から参りましょ〜

 

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基本の「き」

公用語…ウクライナ語

首都…キーウ

面積…630,700km2

人口…4373万4000人(2020年)

検索候補TOP3…女性、治安、なぜ

それでは歴史を紐解いていきましょう! 

  

 

※カタカナがいっぱい出てきてややこしいので、人名には”さん付け”してます。

 

先史時代

・約30万年前、現在のウクライナで人類が現れる(旧石器時代)。

・約12万年前から旧人が登場する。(ネアンデルタール人)

・約4万年前に新人が登場する。(クロマニョン人)

・紀元前6000年から農業を始める。

・紀元前4000年からトルィピーリャ文化が発展した。定住して農耕・畜産を営み、数百人の人口を持つ大きな集落で暮らす。

トルティーヤじゃないですよ。

・紀元前8世紀~紀元前3世紀、イラン系遊牧騎馬民族のスキタイがウクライナを中心に幅を利かせる。

 

9〜13世紀…キエフ大公国の繁栄

・キエフを首都とした東欧の国家。

・リューク朝が主に統治していた。

・10世紀末、ウラジーミル1世がキリスト教を導入する。

因みにプーチン大統領のフルネームはウラジーミル・プーチンです。

・商業関係を築いていたビザンツ帝国が衰退しはじめ、経済活動が滞り国土が弱体化する。

・1240年にモンゴル軍に攻められて崩壊する。

キエフ大公国は現代国家のベラルーシ、ロシア、ウクライナの国の起源となっています。それ故のしがらみがあるのでしょう・・・

 

14世紀…継承国、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国

・2つの公国の合併によって誕生した新しい国”ハールィチ・ヴォルィーニ大公国”。

・中世ヨーロッパ諸国の援助を元に、先陣をきって反モンゴル活動を行った。

ルーシ系の諸公国の中でもっとも大きい公国の一つであった

因みに

ルーシ:キエフ大公国のもとで誕生したキエフ大公国・チェルニーヒウ公国・ペレヤースラウ公国を中心とするリューリク朝の三国。広義でハールィチ・ヴォルィーニ大公国、ヴラジーミル大公国、ノヴゴロド共和国などの東欧の諸国を含むことがある。※Wikipediaからガッツリ転用、要するにルーシ=ウクライナで考え方はほぼおっけい。

・ローマ教皇やドイツ騎士団と仲良くしつつ領土拡大を目指していた。

・君主の支配力が弱かった、反対に貴族による勢力が強かった為、内乱がたびたび起きた。

・内乱で弱ってくると隣国が攻めてくるのは世の定めです。

・1392年に取り合いの末、元ハールィチ公国はポーランド王国領となり、元ヴォルィーニ公国はリトアニアの支配下に置かれた。

ウクライナはポーランドとリトアニアに占領されましたよ

・その後リトアニア=ポーランド王国として同君連合の国家となる。

 

15世紀…リトアニア=ポーランド王国の躍進

・1410年にドイツ騎士団と戦い、さらに十三年戦争といわれる1454~66年の戦いで勝利を収める。

・ドイツが有していたバルト海を手にして、輸出が急速に延び、経済は飛躍的に発達しヨーロッパの強国として繁栄する。

 

16世紀…ポーランド・リトアニア共和国の設立

・1525年にドイツ騎士団はポーランド王国を宗主国とするプロイセン公国となる。

・1558年リヴォニア戦争が勃発し、リトアニア大公国軍は、ロシア軍と交戦し有利に立つものの、国力はガクッと低下した。

・そのため1569年”ルブリン合同”を発令してリトアニアは同君連合のポーランドに助けを求めた。

・その後リトアニアは弱体化し、ポーランドが実権を握ってウクライナの広大な国土を支配した。

この支配とは強制とか弾圧などではなく、リトアニアが弱っていたため段々とポーランド化したそうです。

 ・そして周りからは”ポーランド国”として言われるようになった。(リトアニアの消滅)

17世紀…ウクライナ独立運動、忍び寄るロシア

・ウクライナ史最大の英雄とされる、ボグダン=フメリニツキーさんがここらで登場します。

・1648年にポーランド国に対して反乱を開始して、反乱はウクライナ各地に広がった。

・フメリニツキーさんはキエフを奪い、アタマン国家を作り上げた。規模自体は小さかったがこれは実質的にウクライナとして最初の独立を成し遂げました。

・反乱の際に後のロシア帝国となるロマノフ王朝に協力を得ていた。

・すったんもんだあったがフメリニツキーさんは援軍を貰い、ポーランド国を追い込む。

・その最中フメリニツキーさんは病気により死去(1657年)

・その後、ロシア帝国はポーランド国と停戦協定に持ち込み、キエフを含むウクライナ右半分の領土を手に入れた

キエフはロシア帝国の発祥の地でもあるので、「取り返したぞ!」という気持ちも有ったことでしょう。

 

18世紀…ポーランド国の分割

・ウクライナ西半分はポーランド領として残っていたが、次第に国力を衰退させたポーランドに対し、ロシア帝国・プロイセン・オーストリア三国によるポーランド分割が行われた。

・ロシア帝国は歴史的にこの地は自分とこの領土だったと主張し、それを取り戻しただけという意識が強かった。

ほぼ同時期からアタマン国家は消滅し、ウクライナの地は「小ロシア」としてロシア帝国の一部として称されるようになりました。

 

19世紀…民族運動が盛んになる

・抑圧政策とヨーロッパで流行したロマン主義・民族主義の高まりにより、ウクライナ人の民族運動も盛んになる。

・ウクライナの知識人によるウクライナの歴史・文化・民俗に関する研究が行われる。

・タラス・シェウチェンコさんのまとめたウクライナ語文法は現代ウクライナ語の基礎となった。

ロシア帝国は「小ロシア語」と称しました。どことなく失礼な感じが漂いますね。

 

20世紀…独立からのソ連入編、そして独立へ

・1917年に第2次ロシア革命が勃発し、二月革命によりロシア帝国が滅亡する。

・その後発足したボリシェヴィキ政権による権力搾取にウクライナ中央会議は抵抗し、1918年にウクライナ人民共和国を宣言する。

・ボリシェヴィキ政権はそれを認めず、赤軍をキエフに送り込むなどして争いは激化した。

ボリシェヴィキとはロシア社会民主労働党のなかで、レーニンを中心的指導者とした思想的・組織的グループのことです。コトバンクからまるっ転用

・途中ドイツと提携を組んだりするが、1919年に赤軍の猛攻を止められず、同年にウクライナ社会主義ソビエト共和国が設立される。

赤軍とは1918年1月から1946年2月までロシア帝国およびソビエト連邦に存在した軍隊です。ウィキペディアからまるっと転用。

・その後、レーニンさん死去するまではウクライナ各地の民族の自主性が尊重されていましたが、スターリンさんに主導権が移ったあとはロシア化が進み、1930年代にはウクライナ文化は消えてしまった。

・1941年にドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻、独ソ戦が開始される。これによりウクライナの一部はドイツに占領される。

・ウクライナは戦地の最前線だったため、2000〜3000万人の犠牲者のうち、約1000万人がウクライナ人とされる。

・戦後もソ連邦の一員として社会主義体制が続いた。

・1954年にはロシアの一部であるクリミア半島をウクライナに移管した。

・表向きにはウクライナに対してのヨイショであったが、実際はクリミア半島には多くのロシア人がいたので、ウクライナのロシア人比率を高めたい思惑があった。

クリミア半島はもともとウクライナの土地でした。ソ連はウクライナがあとあと独立するなど思いもしませんでした。

・そして色々あってソ連は崩壊する。

・その後、1991年に「ウクライナ」として正式に独立を果たす。

 

最後に

この度のウクライナとロシアの戦争で両国の関係性が気になった方も多いと思います。

今回のまとめで何となくは分かったのではないのでしょうか?

なにはともあれ、一日でも早く戦火が止むことを願うばかりです。

これにて22ヵ国目【ウクライナ】を終わりとします。

ご覧頂き有難う御座いました。

 

 

 

 

↓大変参考にさせて頂きました!

ウクライナ – 世界史の窓

ウクライナ – Wikipedia

※掲載している情報は記事更新時点のものです。

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