
皆様こんにちは!蝦夷パパです!
今回も歴史を要約しますよ〜
今回は世界の国シリーズ、19カ国目は【インド共和国】です。
インド共和国の誕生までを要約しました。
ざっくりと見てもヨシ!
各世紀ごとにしっかりと見るもヨシです!!
それでは基本の「き」から参りましょ〜
基本の「き」
公用語…ヒンディー語
首都…ニューデリー
面積…3,287,263km2
人口…13億8000万4000人
検索候補TOP3…インドについて、観光、ETF
それでは歴史を紐解いていきましょう!
※カタカナがいっぱい出てきてややこしいので、人名には”さん付け”してます。
1〜3世紀…クシャーナ朝時代、ローマ帝国との交流
・イラン系のクシャーン人がクシャーナ朝を興こし、北西インドを支配する。

インド全体の支配は出来ませんでした。
・3代目カニシカ王は仏教をちょー大事にした。

仏教はガウタマ・シッダールタが始めた思想です。釈迦でーす。
・ローマ帝国と交易関係にあった。
4〜6世紀…グプタ朝時代、ヒンドゥー教が定着する
・クシャーナ朝はイラン王朝のササン朝に攻められ衰退する。
・そのタイミングでささっーとチャンドラグプタ1世がグプタ朝を建国する。
・あれよあれよとインドをまとめ上げて、チャンドラグプタ2世ときに全盛期となる、約500年ぶりにインドを統一。
・この時代はインド古典文化の黄金期と言われている。
・それはバラモン教から発達したヒンドゥー教が民衆に定着したため。

響きぐらいは知ってるヒンドゥー教、インドの宗教です。これ以上のことはググって下さい、スイマテン。
・5世紀後半イラン系の遊牧国家・エフタルに西北部を侵略されて、後に滅亡する。
・その後出てきたのが、ハルシャ・ヴァルダナ王が興したヴァルダナ朝。
・仏教を愛してました。
・中国の唐からシルクロード経由で訳経僧の玄奘さんが遊びに来てます。

訳経僧とは仏教の経典を翻訳する僧侶のことです、そのまんま東ですね。
・ヴァルダナ朝は一代で終了しました。
7〜12世紀…ラージプート時代、イスラーム教の侵攻に抵抗する
・ラージプート族と呼ばれるヒンドゥー教をすんごく愛していた、ガンジス川中流域に住んでいた人々がいました。
・8世紀頃から始まったイスラー厶教徒によるイラン侵略に抵抗する。
・しかし抵抗虚しくイスラーム化を辿る。
・この頃から大都市イランという大きいくくりから、地方ごとの小さいくくりで生活(自給自足)するようになり、地域ごとで職業や役割を決めたジャーティと呼ばれる身分制度が社会に浸透する。

ジャーティは後のカースト制度に繋がります、現在でもなごりがゴリゴリ残ってます。
13〜15世紀…デリー・スルタン朝時代、インドはイスラーム化する
・北インドの中心地デリーにトルコ系で奴隷出身のアイバクさんが、インドで初めてのイスラーム王朝の奴隷王朝を興す。
・その後、奴隷王朝→ハルジー朝→トゥグルク朝→サイイド朝→ロディー朝と続くが全てを総称してデリー・スルタン朝と呼ぶ。
・13世紀にはモンゴル帝国軍からの侵攻にビビったりも。

お馴染みチンギス・ハンの子孫たちがインドを攻めます。
・トゥグルク朝だった1398年には、トルコ化したモンゴル人のティムールさんにデリーを襲撃される。
・その後、ティムールさんの子孫バーブルさんがロディー朝を破り、北インドを支配してムガル帝国を築く。
16〜18世紀…ムガル帝国時代、ほぼ全てのインドを支配
・ムガルとは中央アジアでいうとモゴール、つまりモンゴルのこと。

図々しいですね、ザ・侵略って感じ。
・イスラーム教スンナ派を推していて、公用語はペルシア語を用いた。
・インド=イスラーム文化が開化する。
・しかし何だかんだヒンドゥー教徒が多いので、ヒンドゥーをかなり優遇しました。そのおかげで帝国は盛り上がりを見せる。

ムガル帝国の全盛期でした。
・やっぱり面白くなくなってきて、ヒンドゥーを無下にする、当然のごとく反発・問題が起きる。
・17世紀頃から香辛料を求めてイギリス・フランスがインドに会社を建てる。ここから周辺国のインド進出が始まる。

香辛料は食物の腐敗防止、食欲増進、香を楽しむなど重宝されました。
金・銀と同じ価値があったとか無いとか。
・両国はもっと儲けようと激しく覇権を争う。覇権を取ったイギリスはそのままインドの植民地化を狙った。
19世紀…イギリスのインド支配時代
・元々はインドから綿織物を輸入していたりと良き貿易関係にあった。
・しかし、イギリスはさらなる富を求めてインドから土地税を取るなどして、搾取をするようになる。
・1857年にインド大反乱が起きたがイギリスはそれを鎮圧し、インド植民地支配が完成する。このときにムガル帝国も滅亡する。
・イギリス女王のヴィクトリアさんを皇帝としたインド帝国として独立する。

まさかの2カ国兼任です笑
まぁ実際の指揮は誰かがやってるんでしょうけど。
・公用語をムガル帝国が使用していたペルシア語から英語に切り替える。
・インド人に不満が出そうな法案も次々と出てきた為、全インド国民協議会と言われる言論による反英運動が行われたりした。

英語を習ったインド人(賢い)の中には「西洋のここは良いとこだなぁ」と合理的思考などを学びました。
いいとこは組み入れようとする、ヒンドゥー改革運動も行われました。
20世紀…イギリスの裏切り、ガンディー登場
・第一次世界大戦が勃発、イギリスは「協力したら独立していいよ」と約束をしてインド人を戦争に協力させる。

なんも無かったら、そりゃ手伝いません。
・まぁ、約束は守りませんよ。
・民は大反発して反英は激化する。
・そこで現れるのがガンディーさん、彼は「暴力は使わずにイギリスからの服従を終わらせる」と動き出します。

ガンディーさんは教科書にも出てきますよねぇ。
・第一次、第二次非暴力・不服運動と続きます。第二次ではイギリスが塩に税を掛けていることにツッコミを入れるなどして抗議しました。
・そんなこんなで第二次世界大戦に入る。ガンディーさん一味は「戦後の独立を認めないなら戦争には協力しないよ」と運動を起こしたらイギリスに逮捕・弾圧される。
・なんだかんだでイギリスは戦勝国になったが戦後の再建や植民地統治に問題を抱えていたので支配を諦めてインドを独立させる。
・しかしこれは、ガンディーさんが求めた1つのインドではなく、ヒンドゥー教のインド連邦とイスラーム教のパキスタンという分離独立となった。(1947年)

団結して反逆させないようにしました。
そして、ぱっつり区切ったことにより国境を巡った争いが始まります。
これは現在でも解決してません。
※1950年にインド連邦は共和制の国になったのでインド共和国でマルになります。
最後に
皆様、お疲れさまでした。
インド史もなかなか見ごたえがありました!

僕はしばらくインドいらないです。
この時期のイギリスのおかげで現在まで尾を引く紛争が結構あるんですよね…
まぁ良ければ見てやってください。笑
これにて19ヵ国目【インド共和国】を終わりとします。
ご覧頂き有難う御座いました。
↓大変参考にさせて頂きました!
※掲載している情報は記事更新時点のものです。
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